本を手にして思うこと(2)

関わり続け、含んでいく願いの力

· 研究会の歩み

もう一つの思い
 ワクワクしながら届いた本を開いた私。この3年強の出来事が頭の中を巡ります。
はじめまして、と緊張しながら参加した富坂キリスト教センターの最初のミーティング。毎月、毎週、毎日?!つながってきたZoomミーティング。喧々諤々、議論を戦わせ、根気よく対話で相互理解を深めた合宿。それぞれが、それぞれの苦しみや悲しみを抱えながら、ここまでやってきた。
 各章の文章は、メンバーで相互レビューをし、率直な意見を交わしながら書いたもので、どれも様々な場面が思い出されるものです。本のページをめくりながら、幸せな気持ちになりました。
 その中でも、私の目にとまり、特に心を揺さぶったページがありました。

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共に活動できなくなった仲間への思い
 それは、ある研究メンバーの担当していたページです。正確には、その方が担当したはずのページでした。
 実は、私たちの研究会メンバーの一人に病が見つかり、途中から一緒に活動できなくなったのです。2018年の秋のことでした。専門家である牧師先生の経験や知識をとても頼りにしていた私たちは、どうしても彼のパートを含めたいと思いました。それで、私たちは先生の書いた原稿を自分たちの手で再編集したり、先生から聴いた話を書き起こしたりして、この本を完成させました。
 私たちが含めたかったのは、彼の経験や知識だけではありませんでした。先生の存在を、この研究会の中に含めたいと思ったのです。2018年の秋以降、私たちのオンラインミーティングの初めには、毎回、先生の健康と平安を願って祈りました。原稿を書くときには、先生ならなんと書くだろう、と考えながら進めました。そして、あの手この手と工夫しながら、共にいられなかった仲間との関わりを続け、含めていくことをあきらめませんでした。
(詳しいことは、研究会の座長・田代さんが書いた「あとがき ー私たちの物語」を読んでくださいね。)

目に見えないつながりに支えられる
 そんなわけで、出来上がった本の中に、彼のパートの文章が活字になったものを見たとき。私には特別な思いがこみ上げてきたのです。ああ、この本は彼と一緒に書いた本だな、と心の底から思えたのです。
 2018年夏の合宿で、この本の執筆の最初の分担が決まり、私はその先生とペアを組んで書くことになっていました。ところが、その直後から連絡が取れない状態が続きました。私はちょうどその頃、長男を亡くした直後で、精神的にも肉体的にも、自分だけで原稿が書けるものなのか自信がありませんでした。
 しかし、何がどうしてそんなことができたのかわかりませんが、その年の秋、私は一人で最初の原稿を書くことができたのです。先生の書かれた原稿を再編集したときも、先生から聴いたお話を原稿に書き起こしたときも、私にはいつも不安がありました。それでもこうして活字となったものを見たときに、「ああ、先生がいつも支えてくれていた」と確信できたのです。
 今も病院で療養されている先生は、きっと私たちのことを気にかけて祈っておられたのだと思います。目に見えないつながり、直接には関われないつながりですが、それが私たちの中に確かにあったと感じています。

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 うまく表現できませんが、私たちの中には関わり続け、含んでいきたいという願いがあるのではないでしょうか。遠く離れて会えない友人や病院にいてなかなか面会のできない家族、この世界から旅立ってもう直接会えない人々、、、。それでも、私たちは関わり、彼らを含んで生きていきます。言葉や行動で明確には見ることはできませんが、そうした願いが「人間関係とコミュニケーション」の根底にあるのだと思うのです。
 研究を進める仲間との間に生まれた「目に見えない関わり」について、届いた本を手にして思いめぐらせたお話でした。